宇文亮とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 宇文亮の意味・解説 

宇文亮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 03:03 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

宇文 亮(うぶん りょう、? - 580年)は、北周宗室は乾徳。

経歴

宇文導の子として生まれた。559年、永昌郡公に封ぜられた。後に杞国公宇文連(宇文泰の兄)の爵位を嗣ぎ、開府儀同三司の位を受けた。

563年10月、梁州総管となった。571年、宗師中大夫となり、大将軍に進んだ。4月、秦州総管となり、兄の宇文広の部下を引き継いだ。5月、柱国に進んだ。572年宇文護が殺害された後、宇文亮は不安にさいなまれて、酒びたりとなった。武帝はそのことを叱責した。

576年、武帝が北斉を攻撃すると、宇文亮は右第二軍総管となった。并州が平定されると、上柱国に進んだ。の攻撃に従軍し、大司徒に転じた。578年宣帝が即位すると、安州総管として出向した。

579年、行軍総管となり、韋孝寛らとともに南朝陳を攻撃した。11月、安陸道を通って黄城を攻め落とした。580年3月、北周の軍が凱旋して豫州に到着したとき、宇文亮は謀反をはかり、夜間に数百騎で韋孝寛の陣営を襲撃しようとした。事前の密告によって韋孝寛の知るところとなり、襲撃の備えがなされていたため、宇文亮は勝利できず、遁走した。韋孝寛は追撃して宇文亮を斬った。

弟の宇文椿が杞国公の爵位を嗣いだ。

子女

  • 宇文明(宇文亮の罪に連座して殺された)
  • 宇文温(宇文亮の弟の宇文翼の後を嗣いだ)

伝記資料




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宇文亮」の関連用語

宇文亮のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宇文亮のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの宇文亮 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS