奥田直純
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| 時代 | 戦国時代 |
| 生誕 | 大永4年(1524年) |
| 死没 | 元亀2年9月23日(1571年10月11日)[1] |
| 別名 | 七郎五郎(通称)、利直 |
| 主君 | 斎藤義龍→織田信長 |
| 氏族 | 奥田氏 |
| 父母 | 父:奥田秀種 |
| 妻 | 正室:堀利房の娘(堀秀重の姉) |
| 子 | 堀直政 |
奥田 直純(おくだ なおずみ)は戦国時代の武将。身の丈7尺(約212cm)という伝説がある。
概要
美濃国茜部に500貫文の地を領し、斎藤義龍に仕えた。義龍が父道三と戦った際、怪力無双を謳われた道家孫次郎と戦いその首を討ち取った。これにより世人は直純を悪七郎五郎と呼んだという。義龍の死後は織田信長に仕えた。元亀2年(1571年)に48歳で死去した。
息子の三右衛門政次は従兄弟の堀秀政と共に信長に仕え、堀姓を賜り「堀直政」と改め、家名を盛り立てた。
脚注
- ^ 『堀家の歴史』p.36
参考文献
- 堀直敬『堀家の歴史』堀家の歴史研究会、1967年
- 『寛政重修諸家譜』巻第七百六十六
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