奥山彩子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/23 06:02 UTC 版)
奥山 彩子(おくやま さいこ、1916年(大正5年) - )は昭和期の歌手。
経歴
東京出身。父は作曲家、編曲家の奥山貞吉[1]。東洋音楽学校卒業後の、1939年(昭和14年)コロムビアレコードからデビュー。「興亜行進曲」<検討を要する>、「興亜三人娘」:1940年(昭和15年)、「日本の妻」[1]、「蛇姫絵巻」などを吹き込んだ。「興亜三人娘」は李香蘭(当時の満州)、白光(当時の支那)と組み合わされ、当時の国策:三国協和を象徴する歌であった。
1939年(昭和14年)9月30日公開の東宝映画「東京ブルース」[1]、1940年(昭和15年)2月21日公開の東宝映画「春よいづこ」などに出演。
1938年(昭和13年)頃、霧島昇との関係がスキャンダルされたことがある(その後、霧島昇は松原操(ミス・コロムビア)と結婚した)。
一時期、服部良一が設立した「コロムビア・リズム・シスターズ」に参加していた。
代表曲
- 「蛇姫絵巻」(共唱:志村道夫)
- 「日本の妻」(共唱:霧島昇)
脚注
- ^ a b c “レコード音楽技芸家銘鑑 昭和15年版 レコード世界社 第2編 声楽家”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2025年7月23日閲覧。
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