大雄院 (京都市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/08 15:08 UTC 版)
臨済宗大本山妙心寺 大雄院(だいおういん) | |
---|---|
![]()
山門
|
|
所在地 | 〒616-8035 京都府京都市右京区花園妙心寺町52 |
位置 | 北緯35度1分27.22秒 東経135度43分20.18秒 / 北緯35.0242278度 東経135.7222722度座標: 北緯35度1分27.22秒 東経135度43分20.18秒 / 北緯35.0242278度 東経135.7222722度 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
寺格 | 妙心寺塔頭 |
本尊 | 宝冠釈迦如来 |
創建年 | 慶長八年(1603年) |
開山 | 慧南玄譲(えなんげんじょう) |
開基 | 石河 光忠(いしこ みつただ) |
文化財 | 山門(京都府指定文化財)、庫裡(京都府指定文化財)、客殿(京都府指定文化財) |
公式サイト | https://www.daiouin.com/ |
法人番号 | 3130005001176 |
臨済宗大本山妙心寺 大雄院(だいおういん)は、京都府京都市右京区に位置する臨済宗大本山妙心寺の塔頭寺院。
概要
慶長8年(1603年)、尾張藩家老であった石川光忠(石河光忠)が父・石川紀伊守光元(石河紀伊守光元)の菩提を弔うために創建し、慧南玄譲を開祖に迎えた。以降、尾張石河家の香華所として歴史を紡いでいる[1][2][3]。
歴史
創建当時は、豊臣政権から徳川政権への過渡期であり、激動の時代背景を持つ。光忠の母であるお亀の方は徳川家康の後妻となり、家康の子を産むなど、石河家と徳川家の深い関係性が形成された。
建築と文化財
大雄院の建築は、京都府指定有形文化財に指定されており、以下の建造物が特に注目される[4][5]。
- 客殿
- 享保11年(1726年)再建。大雄院の主要な建築物で、現在は方丈として使用されている。
- 書院
- 享保11年(1726年)再建。客殿と共に大雄院の歴史的価値を物語る重要な建物。
- 庫裏
- 江戸時代末期に改造されて以来の形を保つ。江戸末期の建築様式を伝える貴重な存在。
- 表門
- 創建当初(慶長8年・1603年)の姿をそのまま残し、400年以上の歴史を刻む。大雄院の象徴的な建築物。
また、客殿(方丈)の襖絵は、江戸時代末から明治初期に活躍した蒔絵師・画家の柴田是真の作品であり、稚松図や滝猿図など多くの肉筆画が現存する。
柴田是真と障壁画
柴田是真は、日本画家としてだけでなく、漆工芸でも天才的な技を持つ人物であり、国内外で高く評価される。大雄院の客殿には、天保元年(1830年)に是真が描いた障壁画72面が残されている。これらは、京都での修業期間中に手がけた作品であり、若き日の是真(当時は「令哉」の号を使用)を知る上で重要な文化財である。
襖絵プロジェクト「千種の花の丸襖絵」
明治宮殿に存在した柴田是真による「花の丸大天井」は戦火で失われたが、東京藝術大学美術館に保管されている下絵をもとに、2017年に大雄院で襖絵として復活させるプロジェクトが発足した[6] [7]。このプロジェクトでは、日本唯一の「宮絵師」安川如風が制作を担当し、2020年秋に43種の草花を描いた襖18面が完成した。
公開とアクセス
大雄院は通常非公開であり、拝観は「春秋の特別拝観」または「特別予約拝観」のみ可能である。御朱印は公開期間中の授与となり、期間限定の御朱印は予約制で対応している。
脚注
関連項目
外部リンク
- 大雄院_(京都市)のページへのリンク