大河原重信とは? わかりやすく解説

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大河原重信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/12 01:16 UTC 版)

大河原 重信(おおかわら しげのぶ、1890年明治23年)12月20日[1] - 没年不詳)は、日本検事朝鮮総督府官僚。海軍司政長官弁護士

経歴

長野県に石田善吉の三男として生まれ、大河原昇五郎の養子となった[1][2]1917年大正6年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、朝鮮銀行に入ったが翌年に退職した[3]1919年(大正8年)に司法官試補となり、東京地方裁判所判事、土浦区裁判所検事・水戸地方裁判所検事、八日市場区裁判所検事・千葉地方裁判所検事、東京区裁判所検事・東京地方裁判所検事を歴任[3]

1930年(昭和5年)、朝鮮総督府道事務官に転じ、咸鏡北道財務部長、黄海道警察部長、全羅南道警察部長、慶尚北道警察部長、咸鏡北道内務部長、忠清南道内務部長、釜山税関長を務めた[3]

1937年(昭和12年)より再び検事となり、名古屋控訴院検事、東京刑事地方裁判所検事、東京控訴院検事を務めた[3]

その後、海軍司政長官に転じ、南西方面海軍民政府法務局長、セレベス民政部長官を歴任した[4]

1945年(昭和20年)退官し、弁護士を開業した[5]

脚注

  1. ^ a b 大衆人事録 1943.
  2. ^ 人事興信録 1943.
  3. ^ a b c d 人事興信録 1941.
  4. ^ 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年、p.419。
  5. ^ 法曹公論社 1962, 476頁.

参考文献

  • 帝国秘密探偵社編 『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。 
  • 人事興信所編 『人事興信録 第13版(上)』人事興信所、1941年。 
  • 人事興信所編 『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。 
  • 法曹公論社 編 『日本弁護士大観』国際聯合通信社、1962年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3028929 



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