大岡忠豫
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時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 延享2年(1745年) |
死没 | 明和7年1月12日[1](1770年2月7日) |
別名 | 将監、大橘、求馬、忠右衛門、大蔵(通称)[2] |
戒名 | 仁譲院忍誉道和日雅[2] |
藩 | 三河西大平藩世嗣 |
氏族 | 大岡氏 |
父母 | 大岡忠宜、小瀬氏[2] |
兄弟 | 忠豫、忠恒、水野忠体室、堀田正貫室、 長谷川正満室、大岡忠恒養女 |
大岡 忠豫(大岡 忠予、おおおか ただより)は、江戸時代中期の三河国西大平藩の世嗣。通称は将監。
略歴
延享2年(1745年)、2代藩主・大岡忠宜の長男として誕生。
宝暦4年(1754年)、9代将軍・徳川家重に拝謁するが、家督相続前の明和2年(1765年)に廃嫡された。
代わって、弟・忠恒が嫡子となった。明和7年(1770年)死去。享年26。
脚注
固有名詞の分類
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