塩谷惟守とは? わかりやすく解説

塩谷惟守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 03:06 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
塩谷惟守
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代初期
生誕 不詳
死没 建保元年(1213年[1]
別名 塩谷三郎
官位 従五位下三河守
氏族 塩谷氏
父母 父:塩谷惟広 
兄弟 惟守横田頼業室、某(次男)、惟義
テンプレートを表示

塩谷 惟守(しおのや これもり)は、鎌倉初期の下野国塩谷郡武将

事績

塩谷惟広の嫡男として生まれる。本家である塩谷氏藤原系朝業によって継承され、源姓塩谷氏の血筋は惟広やその子惟守によって守られてきたが、建保元年(1213年)の和田合戦において和田義盛に組して討死する[2]。この戦い以降、源姓塩谷氏の勢力は鎌倉での地位を失い、急速に衰退していく。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 命日については、喜連川塩谷系譜が6月5日とする一方、吾妻鏡は5月2日とする。
  2. ^ 吾妻鏡による。但し、吾妻鏡に登場する「塩谷三郎惟守」は、武蔵国児玉党塩谷氏の塩谷三郎維盛とする説もある。

参考資料

  • 『喜連川町史』




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「塩谷惟守」の関連用語

1
10% |||||


3
4% |||||

塩谷惟守のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



塩谷惟守のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの塩谷惟守 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS