塩原綱宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/26 03:28 UTC 版)
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時代 | 戦国時代初期 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 刑部少輔 |
主君 | 宇都宮成綱→宇都宮忠綱→宇都宮興綱 塩谷孝綱 |
氏族 | 塩原氏 |
子 | 塩原越前守 |
塩原 綱宗(しおばら つなむね、生没年不詳)は戦国時代の武将。宇都宮家臣。
概要
綱宗は塩谷家遠の弟塩原家忠を祖とする塩原氏の末裔であったという。 永正6年(1509年)、会津の戦国大名長沼政義・蘆名盛高連合軍が下野国片角軍萱へ侵攻してきた片角軍萱の戦いで活躍し、その恩賞として宇都宮成綱から塩原氏の祖塩原家忠が築いたと言われる下野国塩原荘の要害山城が与えられた。
その後は、城の防備などを固め、会津勢への侵攻に備えた。
享禄元年(1528年)には、子の塩原越前守に家督を譲り隠居していた。
脚注・出典
参考文献
- 塩原町文化協会『塩原の里物語 - 塩原温泉千二百年の歴史』(随想舎、1998年10月30日)ISBN 4-88748-014-8
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