埼玉桶川スカイダイビング墜落事故 (1969年)とは? わかりやすく解説

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埼玉桶川スカイダイビング墜落事故 (1969年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/10 02:08 UTC 版)

埼玉桶川スカイダイビング墜落事故(さいたまおけがわスカイダイビングついらくじこ)は、1969年12月15日埼玉県桶川町(当時)で発生したスカイダイビングの死亡事故[1]。スポーツ・スカイダイビングで日本で初めて起きた死亡事故でもある[2]。以後、事故被害にあったスカイダイバーをAと表記する。

事故背景

Aが属していたスカイダイビング・クラブは、本事故の起きる直前の1969年7月に発足したばかりで[1]、社会人が中心であった[1]。本拠地は調布飛行場であったが[1]、スカイダイビングを行なうには手狭であったため、ホンダエアポートや千葉県船橋市の陸上自衛隊第1空挺団の施設を利用していた[1]。Aは、この時、降下6回目[1]で自動索降下によるトレーニング期間中であった[1]

自動索降下

自動索降下とは、リップコード[注釈 1]に自動索とよばれるロープを取り付け、この自動索を飛行機に引っ掛けておき、スカイダイバーが飛行機から飛び出すと、自動索が伸びきり自動的にパラシュートが開くようにしたものである[3]。自動索降下は事故当時、初心者に対する一般的なトレーニング方法であった[3]。またリップコードには減速用の誘導傘がついていた[1]。Aはメインパラシュートの他に予備パラシュートも装着していた[1][2]

事故状況

天候

事故のあった日の天候は、桶川町近くの熊谷の午前9時の地上の気象観測データによると、快晴、気温は1.4℃、北西の風、風速0.5m/sであった[4]

事故の概要

Aを含む10人が1969年12月15日、午前7時30分ごろ、セスナ機でホンダエアポートを離陸した[1]。インストラクターの指導のもと、自動索降下で、高度700メートルから空港滑走路の延長上にあるオーバーランの芝生の上に降下する訓練を行う予定であった[1]

この時、Aは女優の應蘭芳とペアを組んでおり[1]、應蘭芳が降下した後に、続いて降下を始めた[1]。しかし、パラシュートが開かず、補助パラシュートも使用しないまま[5]芝生の上に墜落した[1]。即死だった[1]

事故の原因

Aがセスナ機から降下を開始直後、通常の姿勢とは異なり、背中が下になってしまった[2]。その時誘導傘が脇の下に挟まり[2]、またメインのパラシュートを抱えてしまったため、予備パラシュートを開く動作ができなかったと推定される[2]

脚注

注釈

  1. ^ パラシュートを開くために引く紐のこと

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 読売新聞東京夕刊1969-12-15記事11社会面 (1969, pp. 11)
  2. ^ a b c d e 航空情報1976年9月臨時増刊号スカイスポーツ (1976, pp. 90)
  3. ^ a b 航空情報1976年9月臨時増刊号スカイスポーツ (1976, pp. 89)
  4. ^ 気象庁 過去の気象データ検索”. 2014年9月21日閲覧。
  5. ^ 死のスカイダイビング パラシュート開かず『朝日新聞』1969年(昭和44年)12月15日夕刊 3版 11面

参考文献

  • “死のスカイダイビング”. 読売新聞夕刊 (東京): p. 11. (1969年12月15日) 
  • 笹島穣 (1976-09). “スカイダイビング”. 航空情報 臨時増刊 スカイスポーツ (酣燈社) 364: 78-92. ISSN 04506669. 

関連項目




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