垂井源右衛門とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 垂井源右衛門の意味・解説 

垂井源右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/12 15:16 UTC 版)

垂井 源右衛門(たるい げんえもん、生没年不詳)は日本戦国時代に存在した人物。摂津国の垂井氏の末裔とされる。

林羅山の『本朝神社考』にて、の母親を持つ人物として紹介されている。

概要

本朝神社考』は、垂井源右衛門の出生について以下の記述を残している。

天文年間(1532年1555年)、摂津国の垂井氏の男が、大蔵谷(現在の兵庫県明石市大蔵海岸付近か)で美女と出会い、結婚し1人の子が生まれた。妻が粧鏡を開き化粧をしているとき、子が背後から鏡を覗き込むと、母親ではなく狐の姿が映っていた。子が驚き叫ぶと、母親は狐の姿となり、どこかへ逃げてしまった。残された子は、成長するとよく謡を唱うようになった。これが垂井源右衛門であるという[1]

脚注

注釈

出典

  1. ^ 林羅山『本朝神社考[1]』下之六、玉藻前



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  垂井源右衛門のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「垂井源右衛門」の関連用語

1
4% |||||

垂井源右衛門のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



垂井源右衛門のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの垂井源右衛門 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS