坪川武光とは? わかりやすく解説

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坪川武光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/29 04:07 UTC 版)

坪川 武光(つぼかわ たけみつ、1909年 - 1940年12月19日)は、北海道小樽市出身のクロスカントリースキーノルディック複合選手。

来歴

旧制札幌商業学校早稲田大学北海道庁

早大在学中、1930年の第8回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキー個人18kmとリレーで優勝。翌1931年の全日本学生スキー選手権大会でも、早大チームのメンバーとして、クロスカントリースキー32kmリレーを制する。1932年レークプラシッドオリンピックの代表に選出され、クロスカントリースキー個人長距離(18km)で15位、ノルディック複合では前半の距離で5位、総合でも日本人選手最高の15位に入る健闘を見せた。

1933年の全日本スキー選手権大会では、ノルディック複合で優勝するなど、その後も日本の第一線選手として活躍したが、1940年12月、32歳(数え年)で病死した。

参考資料

  • 小川勝次「日本スキー発達史」朋文堂、1956年
  • 菅原悦子「歴史ポケットスポーツ新聞冬季オリンピック」大空出版、2009年
  • 北海道スキー連盟編「栄光の軌跡 北海道スキー連盟創立70周年記念誌」、2002年

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