坂上貞野
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 09:23 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動坂上 貞野(さかのうえ の さだの)は、平安時代前期の官人・医師。名は真野とも記される。氏姓は蔵人(無姓)のち坂上宿禰。官位は外従五位下・侍医。
出自
蔵人は職業人の一つで、朝廷の倉庫(内蔵・大蔵・地方の倉庫)に関する業務を担当した[1]、阿知使主の後裔とされる漢系渡来氏族[2]。
経歴
清和天皇の侍医を務め、貞観9年(867年)正月に外従五位下に叙せられ、同年11月には蔵人(無姓)から坂上宿禰に改姓した。貞観12年(870年)美作権介を兼ねるが、貞観14年(872年)7月25日卒去。最終官位は外従五位下行侍医兼美作権介。
官歴
『日本三代実録』による。
- 時期不詳:正六位上。侍医
- 貞観9年(867年) 正月7日:外従五位下。11月20日:蔵人(無姓)から坂上宿禰に改姓
- 貞観12年(870年) 正月25日:兼美作権介
- 貞観14年(872年) 7月25日:卒去(外従五位下行侍医兼美作権介)
脚注
参考文献
- 坂上貞野のページへのリンク