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土岐榮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/02 13:44 UTC 版)

土岐 榮(どき さかえ、1924年11月10日 - 2016年2月1日)は、栃木県宇都宮市出身のソフトボール指導者。

経歴

文星芸術大学附属中学校・高等学校東京体育専門学校卒業。宇都宮須賀高等学校宇都宮女子商業高等学校において女子ソフトボール部監督を56年間務める。全日本高校女子ソフトボール選手権大会(インターハイ)優勝7回、国民体育大会ソフトボール競技優勝7回。1998年の第9回世界女子選手権大会(シドニーオリンピック予選)準優勝時の日本代表団長(監督が宇津木妙子)。1996年から2001年まで日本ソフトボール協会副会長。東京体育専門学校卒業。1996年4月から2003年3月まで宇都宮文星短期大学助教授。2004年から日本ソフトボール協会顧問。

略歴

  • 1945年8月 前橋予備士官学校を終戦により除隊
  • 1947年3月 大谷武一からソフトボールの指導を受ける
  • 1948年3月 東京体育専門学校卒業
  • 1948年4月 宇都宮須賀高等学校教諭、女子ソフトボール部監督就任
  • 1955年4月 宇都宮女子商業高等学校教諭
  • 1996年4月 宇都宮文星短期大学助教授(兼務)
  • 2003年3月 宇都宮文星短期大学退職、女子ソフトボール部監督退任
  • 2016年2月 老衰のため死去、91歳[1]

トピックス

  • 1970年 現在の『ソフトボール・マガジン』誌の前身にあたる情報誌『月刊ソフトボール・マガジン』を3,000万円の私財を投じて創刊した。
  • 1972年 購読者不足による運営難のために同誌廃刊。
  • 1983年 ソフトボール競技におけるタイブレーク制を考案し、日本ソフトボール協会に提起、採択された。
  • 2004年 脳梗塞を発症。リハビリ(栃木県宇都宮市飯田病院)の傍ら2006年10月までの3年弱の期間をかけて自身のソフトボール競技への取り組みを『挑戦の軌跡』として記す。

著作

  • 『挑戦の軌跡』2007年

参考文献

  • 土岐榮『挑戦の軌跡』2007年

脚注

  1. ^ 朝日新聞 2016年2月3日朝刊(栃木版)

関連項目




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