周縉とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 周縉の意味・解説 

周縉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 07:07 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

周 縉(しゅう しん、生没年不詳)は、明代官僚は伯紳。本貫鄂州武昌県

生涯

貢生として国子監に入った。永清典史に任じられ、県令の事務を代行した。燕王朱棣が挙兵すると、近隣の守令たちは相次いで朱棣に降った。永清県は燕王府の地に近接していたが、周縉はひとり建文政権について、県城の防御を固めた。ほどなく抵抗不能に陥り、県令の印を懐に南に逃れた。道中で母が死去したと聞き、帰郷して喪に服した。燕王軍が南京に迫ると、周縉は義軍を糾合して戦闘を準備したが、南京が陥落したと聞くと、逃走して隠れた。後に周縉は逮捕され、首枷をつけられて連行され、一兵卒として興州に流された。数年後、周縉の子が代わって興州の兵役につき、周縉は帰郷できた。享年80歳で没した。

参考文献

  • 明史』巻143 列伝第31



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  周縉のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「周縉」の関連用語

1
6% |||||

2
4% |||||

3
2% |||||

周縉のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



周縉のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの周縉 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS