呉皇后 (劉備)とは? わかりやすく解説

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呉皇后 (劉備)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/07/04 02:08 UTC 版)

呉皇后(ごこうごう、? - 245年)は、の先主劉備の皇后。穆皇后で、姓は呉氏は不明。父は呉夙、母は不明。呉懿の妹。陳留郡の人。

生涯

幼いころに父を失い、亡父と旧交のあった劉焉の入蜀の際に母と妹、族弟の呉班一家と共に蜀に移住した。その間もないころ、人相見が呉氏を見て、大変な高貴の身分に昇ると言った。それを聞いて、かねてから野望をいだいていた劉焉は自分の3男、劉瑁の妻に迎えた。しかし、彼が若死にしたために未亡人となってしまった。

その後、劉備が劉焉の子、劉璋を逐って211年、益州へ入城した。その際、群臣が呉氏を娶るように勧めた。劉備は「同姓娶らず」という礼教の規定に反するとして、ためらいを見せたが、弁舌の立つ法正の説得により、夫人に立てられた。

219年、劉備が漢中王を名乗った。その際、漢中王后に立てられた。

221年、劉備が皇帝に即位すると皇后となり、223年、劉備が死去し劉禅が即位すると、皇太后となった。

234年、正月に車騎将軍劉琰の妻、胡氏が呉氏に年賀のため参内した。呉氏は胡氏を1か月間宮中に留め置くよう命じた後に退出させたが、耄碌していた劉琰は胡氏が劉禅と浮気をしたと思い、胡氏に対し暴行を加え離縁した。胡氏はこの事を訴え出たため、劉琰は逮捕投獄された揚句に公開処刑された。

245年に死去し、劉備と恵陵に合葬された。 

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