吉良三郎とは? わかりやすく解説

吉良三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/20 02:35 UTC 版)

吉良 三郎(きら さぶろう、延宝6年11月16日1678年12月29日) - 貞享2年9月1日1685年9月28日))は、江戸時代前期の人物。高家吉良家の嫡男。なお、三郎の幼名あるいは通称は、吉良家では古くから代々用いられており、同名を名づけられた人物は何人も存在する。

生涯

吉良三郎の墓(西尾市華蔵寺)

赤穂事件で有名な吉良義央の次男として生まれる。母は上杉富子。長兄の吉良三之助(上杉綱憲)は母方の上杉家へ末期養子に入り、吉良家には嫡男がいなくなっていた頃だったので、待望の次男であった。しかし8歳にして夭折した。吉良家菩提寺の万昌院に葬られた。戒名は本智院殿即岸浄空。

結局、元禄2年(1689年)に上杉綱憲の次男の春千代(吉良義周)が義央の養子に迎え入れられ、吉良家を継ぐことになる。また後に清水一学が吉良家に取り立てられた理由は、夭折した三郎に似ていたためと伝えられている。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「吉良三郎」の関連用語

吉良三郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



吉良三郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの吉良三郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS