吉田駛馬とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 吉田駛馬の意味・解説 

吉田駛馬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 16:13 UTC 版)

吉田 駛馬(よしだ はやま[1]1885年明治18年〉10月25日[2][3] - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚新竹市尹

経歴

吉田兼徳の二男として[1]佐賀県藤津郡山浦村(能古見村を経て現鹿島市)に生まれる[2][3]。のち本籍を東京市赤坂区に置いた[3]1912年(大正元年)渡台し、同年9月、台中庁庶課にて勤務する[3]。松岡拓殖合資会社庶務課長、新竹製糖庶務課長を経て、台中州属兼台中州郡属に任じ豊原郡に勤務し、台中州内務部地方課勤務、豊原郡庶務課長、大屯郡庶務課長、大屯郡守代理、台中州内務部地方課地方係長兼庶務課長を歴任し[2]1932年(昭和7年)4月、台北州文山郡守に就任した[3]

1935年(昭和10年)9月、新竹州中壢郡守に転じ[3]1937年(昭和12年)8月16日、新竹市尹に就任した[2]。その後、台湾拓殖新竹支店長を経て、台中州米穀納入配給組合副組合長に就任した[1]

脚注

  1. ^ a b c 人事興信所 1943, ヨ43頁.
  2. ^ a b c d 帝国自治協会 1938, 76頁.
  3. ^ a b c d e f 太田 1940, 313頁.

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  吉田駛馬のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「吉田駛馬」の関連用語

吉田駛馬のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



吉田駛馬のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの吉田駛馬 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS