古城弥二郎
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古城 弥二郎(こじょう やじろう、1857年2月20日〈安政4年1月26日〉[1] - 1912年(明治45年)1月22日)は、明治時代の日本の行政官。熊本県八代郡長として郡築干拓事業を推進し、地域の農業発展と教育振興に尽力したことで知られる[2]。
来歴
現在の熊本県に生まれる[3]。若年期より官吏としての道を歩み、警察官として九州各地を歴任後、熊本県下益城郡・玉名郡・八代郡の郡長を務めた[4]。
1899年(明治32年)、八代郡長に再任されると、郡築干拓事業を開始する[5]。八代海の沿岸を干拓し、約1,000ヘクタールに及ぶ農地を造成する大規模事業を指揮した。この事業は1904年(明治37年)に完了し、八代地域の農業基盤を大きく強化した[6]。
1907年(明治40年)、干拓地で暮らす児童の教育機会を確保するため、古城は郡築私立尋常小学校(現・八代市立郡築小学校)を創設した[7]。校舎は干拓事務所の建物を転用し、地域住民の寄付によって運営された。
1912年(明治45年)に没した。
その功績は地元で顕彰され、八代市郡築地域では彼の名前を冠した碑や墓所が残されている[8]。また、彼の生涯と業績は、熊本県の中学校道徳教材『さよならの写真』でも取り上げられ、地域に貢献した偉人として紹介されている[5][9]。
脚注
- ^ 『熊本県大百科事典』熊本日日新聞社、1982年、p.358。
- ^ 『熊本県の近代化遺産』熊本県教育委員会、1999年、112頁。
- ^ 熊本県教育委員会 1999, p. 112.
- ^ 「【とぴっく・八代市】郡築干拓の汐止め120周年記念祭」『熊本日日新聞』2024年2月10日。2025年5月5日閲覧。
- ^ a b 森田康夫 (2017年4月15日). “八代郡築干拓事業と「さよならの写真」”. 国土とインフラについて学ぶ. 2025年5月5日閲覧。 筆者は2024年より九州地方整備局長。
- ^ 熊本県公文書館所蔵資料『郡築干拓関係文書』[要文献特定詳細情報]
- ^ “学校の概要”. 八代市立郡築小学校. 2025年5月5日閲覧。
- ^ 熊本県教育庁資料『熊本の偉人たち』2020年[要文献特定詳細情報]
- ^ 熊本県教育庁『道徳教材「さよならの写真」に見る地域偉人』2020年[要文献特定詳細情報]
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