北条源蔵 (鶴)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/25 08:37 UTC 版)
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| 時代 | 安土桃山時代 |
| 生誕 | 天正12年(1584年) |
| 死没 | 不明 |
| 別名 | 鶴千代(幼名)、采女 |
| 主君 | 北条氏直 |
| 氏族 | 後北条氏 |
| 父母 | 北条氏政 |
| 兄弟 | 北条氏直、太田源五郎、太田氏房、千葉直重、北条直定、北条源蔵、北条勝千代、芳桂院(千葉邦胤室)、竜寿院(里見義頼正室)、庭田重貞室 |
北条 源蔵(ほうじょう げんぞう)は、安土桃山時代の武将。北条氏政の6男。北条氏直の弟。後北条氏の一族。
生涯
天正12年(1584年)、北条氏政の6男として誕生。幼名を鶴千代といった[1]。
源蔵という名は正しくは北条氏照の仮名にあたる「源三」であると考えられている[2]。兄にあたる北条直重が北条氏照の養子となっていたが、天正13年(1585年)に千葉氏へ養子入りしたため、それに代わって氏照の養子に入ったとみられる[3]。源蔵を称したのは、後北条氏滅亡後に元服した後と推測され、さらにその後、通称采女を称したようである。しかし、具体的な動向は全く伝えられていない[4]。
なお、早雲寺所蔵の「平姓北条氏系図」には、後筆で「後相州鎌倉明月院住職以心伝公、寛永12年乙亥年5月19日」と補記されているが、典拠は確認できていない[5]。
注釈
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