劉磐とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 劉磐の意味・解説 

劉磐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/10 15:54 UTC 版)

劉 磐(りゅう ばん、生没年不詳)は、中国後漢末期の武将。荊州劉表の従子。本貫兗州山陽郡高平県[1]

事績

三国志』呉書 太史慈伝によると驍勇なる武将で、孫策の支配地域である艾・西安などの諸県にたびたび侵攻していた。

そこで孫策は、太史慈を建昌都尉に任じて近隣6県を統治させ、諸将を率いて劉磐の侵攻を防がせた。すると以降は、劉磐の侵攻は影を潜めた[2]

また『三国志』蜀書 黄忠伝によると、劉表の命で黄忠と共に、長沙郡の攸県を守った。黄忠はその後は韓玄、次いで劉備の配下に入ったが、劉磐のその後の動向は不明[3]

羅貫中の小説『三国志演義』では第53回で登場。当時は在野にあったが、劉備が長沙郡を制圧した後、黄忠の推挙を受けて長沙を統治した[4]

脚注

  1. ^ 『三国志』魏書 劉表伝記載、従父の劉表の本貫。s:zh:三國志/卷06#劉表
  2. ^ s:zh:三國志/卷49#太史慈
  3. ^ s:zh:三國志/卷36#黃忠
  4. ^ s:zh三國演義/第053回


このページでは「ウィキペディア」から劉磐を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から劉磐を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から劉磐 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「劉磐」の関連用語

劉磐のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



劉磐のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの劉磐 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS