劉季真とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 劉季真の意味・解説 

劉季真

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/29 03:33 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

劉 季真(りゅう きしん、生年不詳 - 620年)は、中国初に割拠した群雄の一人。離石胡の出身。

生涯

614年、父の劉龍児が隋に叛いて起兵し、劉王を自称した。季真は太子となり、弟の劉六児は永安王を称した。連年にわたって隋の将軍の潘長文の攻撃を受けたが、屈服しなかった。のちに隋の虎賁郎将梁徳に敗れて、劉龍児は戦死した。

617年、季真と劉六児は人々を集めて再び起兵し、劉武周についた。季真は石州を攻め落として、突利可汗を自称し、劉六児を拓定王とした。唐の西河公張綸と真郷公李仲文の討伐を受けて、季真は唐に降伏し、石州総管に任ぜられ、李姓を賜り、彭山郡王に封ぜられた。620年、宋金剛が澮州で唐軍と戦い、長期戦になると、季真は再び劉武周についた。劉武周・宋金剛が唐軍に敗れると、李世民は劉六児を捕らえて斬り、季真は馬邑の高満政のもとに逃れたが、まもなく殺害された。

伝記資料

  • 旧唐書』巻56 列伝第6「劉季真伝」
  • 新唐書』巻87 列伝第12「劉季真伝」



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「劉季真」の関連用語

劉季真のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



劉季真のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの劉季真 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS