劉仲威とは? わかりやすく解説

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劉仲威

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/28 01:06 UTC 版)

劉 仲威(りゅう ちゅうい、生没年不詳)は、中国南北朝時代官僚歴史家本貫南陽郡安衆県。西晋の鎮東将軍の劉喬の九世孫にあたる。

経歴

南朝斉の荊州治中従事史の劉之遴(劉虯の子)の子として生まれた。若くして向上心があり、文学書や史書を渉猟した。承聖年間に中書侍郎となった。王琳蕭荘を梁の皇帝として擁立すると、仲威はその下で御史中丞をつとめた。天嘉元年(560年)、王琳が侯瑱に蕪湖で敗戦すると、仲威は蕭荘を連れて北斉に亡命した。北斉に仕えて中散大夫となった。武平3年(572年)、文林館が立てられて文学士が集められると、仲威は入館して選書にあたった[1]。後にで死去した。編著に『梁承聖中興略』10巻[2]があった。

脚注

  1. ^ 北斉書』文苑伝
  2. ^ 隋書』経籍志二

伝記資料




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