前波景定とは? わかりやすく解説

前波景定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/15 01:23 UTC 版)

 
前波景定
時代 戦国時代
死没 永禄6年(1563年[1]
別名 左衛門五郎、藤右衛門尉
主君 朝倉孝景義景
氏族 前波氏
父母 父:前波吉当[2]
景当吉継(桂田長俊)
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前波 景定(まえば かげさだ)は、戦国時代武将朝倉氏の重臣。

出自

代々「藤右衛門尉」を称す前波氏の嫡流の当主。前代・前波吉当までの前波氏嫡流当主が実名に「吉」を使っているのに対し、景定や嫡子・景当は朝倉氏当主から拝領した「景」の字を用いている[3]

略歴

朝倉景連小泉長利河合吉統らと共に一乗谷奉行人を務めた[1]天文年間(天文8年、1539年)頃?から主に奉行人として足利義晴への奏者を務めるなど、評定衆として家中で重きを成した。また、奉行人を務める傍ら、たびたび合戦に出陣したらしく、奉行人連署状に花押の代わりに「在陣」と記したものが残っている。永禄5年(1562年)12月の奉行人連署状を最後に名が消え、一旦、前波氏自体の名が奉行人から見られなくなった後、永禄8年(1565年)から嫡子・景当が連署状に名を連ねるため、この間に没したと推測される。

脚注

  1. ^ a b 山本 大、『戦国大名家臣団事典 西国編』、新人物往来社(1981)
  2. ^ 景定の前代に藤右衛門尉を称していることからの推定。参考文献「越前朝倉氏の研究」p.312-315など。
  3. ^ 朝倉氏の根本被官の多くが実名に「吉」を使っており、「景」は朝倉一族である同名衆と同じ家格を与えられたことを意味する。前波氏の庶流は前波吉継のようにその後も「吉」を使っている。参考文献「越前朝倉氏の研究」p.309-312など。

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