再び、義絶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 07:49 UTC 版)
暦応5年、康永元年(1342年)、存覚を再び義絶し、別当職に復職する。 康永2年(1343年)、『最要鈔』を撰述する。『本願寺上人伝絵』(『御伝鈔』)を増補して、十五段とする(「康永本」)。『御絵伝』は、円寂(えんじゅく、浄賀法眼の子)と門人・宗舜(そうしゅん)に描かせる。(拝観の便を考え、詞を『御伝鈔』、絵を『御絵伝』と別仕立てにした。) 貞和6年/観応元年(1350年)、存覚の義絶を赦免する。別当職は、覚如の次男の従覚の子、善如が継承する旨の譲り状を記す。
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