円満院 (足利政知側室)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 円満院 (足利政知側室)の意味・解説 

円満院 (足利政知側室)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/06 01:05 UTC 版)

円満院(えんまいん、? - 延徳3年7月1日1491年8月6日))は、堀越公方足利政知側室、または正室[注釈 1]室町幕府の第11代将軍足利義澄の生母。父は武者小路隆光。

生涯

権大納言・武者小路隆光の娘として生まれる[2]堀越公方足利政知の側室(または正室)となり、次男・清晃(後の足利義澄)、三男・潤童子の生母となる[2]

延徳3年(1491年)4月、夫・政知が死去すると、円満院が家政を差配し、潤童子による家督継承が図られた[3]

だが、かつて政知によって廃嫡・幽閉されていた茶々丸(潤童子の異母兄)によって、7月1日に円満院は潤童子共々殺害されている[4]。殺害された理由としては、一説に自らの子である潤童子を政知の後継に据えるために円満院が茶々丸を讒言しており、それが廃嫡・幽閉に繋がっていたことを恨んでいたためともされている[5]

やがて、清晃が義澄として11代将軍に就任すると、幕府奉公衆であった伊勢宗瑞(北条早雲)に命じ、生母と実弟を殺害した茶々丸を攻撃させたのが、いわゆる伊豆討ち入りであったといわれている。

脚注

注釈

  1. ^ 継室とも言われるが、黒田基樹は他に政知の正室が確認できないことから、円満院が正室であり、茶々丸は庶出ではないかとしている[1]

出典

  1. ^ 黒田基樹「再度の駿河への下向」『戦国大名・伊勢宗瑞』〈角川選書〉2019年8月。 
  2. ^ a b 黒田 2019, p. 72.
  3. ^ 黒田 2019, p. 73.
  4. ^ 黒田 2019, p. 74.
  5. ^ 『静岡県史』静岡県、1994年。

参考文献

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  円満院 (足利政知側室)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「円満院 (足利政知側室)」の関連用語

1
16% |||||

円満院 (足利政知側室)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



円満院 (足利政知側室)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの円満院 (足利政知側室) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS