内閣顧問_(シンガポール)とは? わかりやすく解説

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内閣顧問 (シンガポール)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/27 09:05 UTC 版)

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2004年8月11日以前の内閣資政は上級相を参照

内閣顧問(英語:Minister Menter, MM、中国語:内阁资政、マレー語:Menteri Mentor、タミル語:அமைச்சர் அறிவுரையாளர் )とは、2011年まで存在したシンガポールの内閣を組織する官職。日本語では顧問相または内閣資政とも。シンガポール初代首相リー・クアンユーしか就任せず、2004年8月12日上級相辞任とともに創設、就任し、2011年5月21日に辞任し空席となった。

概要

2004年8月にリー・クアンユーの息子、リー・シェンロンが第三代首相に就任した際に、それまで首相だったゴー・チョクトンを上級相に、上級相だったリー・クアンユーを内閣顧問に就任させると発表した。

2011年5月14日にゴー・チョクトンとともに内閣から身を引くという以下の共同声明を発表し、辞任した[1]

(今回の選挙で)われわれは新しい政治的状況を知るに至り、そしてそれがどのように未来に影響を与えるか考慮しました。われわれはシンガポールの発展に貢献しました。複雑で難しい状況の中、シンガポールをさらに前進させる若者たちの時代がやって来たのです。首相や彼を支える若い世代のリーダーは、新鮮でクリーンな基盤を持つべきです。若い世代は、汚職がなくしかも実力主義(知的エリート階級の)の政府を持つこと、加えて高い生活水準を享受すること以外にも、自分自身に影響を及ぼす決定により多く携わりたいと願っています。重要な分岐点となる今回の選挙の後、 私たちは、内閣を去る決意をしました。そして、完璧に若返った内閣に、未来のシンガポールを形作りつつあるこの若い世代と前進してもらうことにしました。

しかし、この若い内閣たちは古い世代のためにも存在していることを忘れてはいけません。この古い世代は、シンガポールに貢献してきたのであり、十分に省みられなければなりません。

—  リー・クアンユー、ゴー・チョクトン共同辞任声明 日本語訳[2]

内閣顧問一覧

氏名 在任期間
リー・クアンユー 2004年8月12日2011年5月21日

関連項目

脚注

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