内山康とは? わかりやすく解説

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内山康

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/21 20:20 UTC 版)

内山 康(うちやま やすし、1931年昭和6年)1月13日[1] - 1992年平成4年)8月25日[2])は、広島県広島市出身[2]実業家レーザーテック株式会社の創業者[2]

経歴

1931年(昭和6年)広島県に生まれる。1948年旧制修道中学校(現:修道中学校・高等学校)を卒業。修道中学校の同級生に日本画家の平山郁夫がいた[3]。1951年広島工業専門学校(現:広島大学工学部)を卒業。その後肺結核を患い、国立広島療養所(現:国立病院機構東広島医療センター)で5年間闘病生活を送ったのち、臨時雇いで松下通信工業に就職、無線部でX線テレビの開発にかかわった[4][5]。1960年、日本自動制御株式会社を設立。1976年に大規模集積回路 (LSI) フォトマスク欠陥検査装置を、1985年に走査型カラーレーザー顕微鏡を世界に先駆けて開発・販売し、同社は急成長した[6]。1986年社名をレーザーテック株式会社に変更。1992年8月25日、61歳で逝去[7]。その後も同社は成長を続け、2013年東京証券取引所市場第一部に上場した[8]

脚注

  1. ^ 『「現代物故者事典」総索引:昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、194頁。
  2. ^ a b c 東京新聞、1992年8月27日朝刊33面
  3. ^ 日本経済新聞1991年4月22日36頁
  4. ^ 日本経済新聞 1990年2月1日 28頁
  5. ^ 朝日新聞神奈川県版1991年5月2日
  6. ^ 日本経済新聞 1983年4月9日 22頁
  7. ^ 日本経済新聞1992年8月26日15頁
  8. ^ レーザーテック株式会社 会社沿革

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