光明真言院とは? わかりやすく解説

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正林寺 (京都市)

(光明真言院 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/02 01:13 UTC 版)

正林寺

山門
所在地 京都市東山区渋谷通東大路東入3丁目上馬町553
位置 北緯34度59分25.6秒 東経135度46分51.7秒 / 北緯34.990444度 東経135.781028度 / 34.990444; 135.781028座標: 北緯34度59分25.6秒 東経135度46分51.7秒 / 北緯34.990444度 東経135.781028度 / 34.990444; 135.781028
山号 淸凉山
(清涼山)
院号 光明眞言院
(光明真言院)
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 建仁2年(1202年)正月
開山 法然
開基 九条兼実
中興 義山、恵空
正式名 清涼山光明真言院正林寺
淸凉山光明眞言院正林寺
別称 小松谷御坊正林寺
札所等 法然上人二十五霊跡第14番
法人番号 5130005000201
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正林寺(しょうりんじ)は、京都市東山区渋谷(しぶたに)通東大路東入3丁目上馬町(かみうままち)にある、浄土宗の寺院である。ここには、平重盛(小松殿)の別邸で、48の灯籠をともして念仏させたという灯籠堂のあったところで、平家没落後、九条兼実の山荘となっていた。ここに法然を招き、法談をし、法然を戒師として兼実が剃髪出家した旧跡である。法然がここに居住していたこともあるという。法然上人二十五霊跡第14番札所。

歴史

ここには、もとは平重盛の別邸で、後に九条兼実の山荘となっていた。建仁2年(1202年)正月、ここで法然を戒師として兼実が出家した。元久2年(1205年)8月、法然が瘧(おこり)をわずらい、その時聖覚が修法を施したという。建永2年(1207年)3月、四国に流罪の時も当御房から出発した。応仁の乱で、ここは灰燼に帰した。義山が復興に努め、弟子の恵空が遺志をつぎ、真盛辻子にあった正林寺を移した。享保20年(1735年)九条家より河原殿の建物が移築され、大師堂・方丈などになった。

寺宝

  • 法然像 - 讃岐の人に与えられたものが、後日ここに移されたという。
  • 兼実像 - 九条家安置の像であった。
  • 弁長像 - 「選択集」を弁長が授かった。

第十四番御詠歌

「千年経る小松のもとをすみかにて 無量寿仏の迎えをぞ待つ」

脚注

参考

  • 「小松谷御房略縁起」



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