一条溢子とは? わかりやすく解説

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一条溢子

(修成院 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/12 08:24 UTC 版)

一条 溢子(いちじょう いつこ、1752年宝暦2年2月28日) - 1781年安永10年))は、江戸時代中期の女性。水戸藩第6代藩主・徳川治保御簾中。父は関白一条道香。院号は修成院。別名は八代君溢子徳川治紀の生母。

生涯

関白一条道香の娘として生まれる[1]。母は岡山藩主・池田継政の養女(池田政純の娘)・静子。その後、水戸藩第6代藩主・徳川治保の正室となり、1773年安永2年)に徳川治紀を生む。

1781年安永10年)、死去[2]

脚注

  1. ^ 徳川(德川)氏(御三家・紀伊徳川家)”. 世界帝王辞典. 2023年5月12日閲覧。
  2. ^ 「續德川實紀 第1巻」(1905年



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