侯裕田とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 侯裕田の意味・解説 

侯裕田

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 08:08 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

侯 裕田(こう ゆうでん、Hou Yutian1829年 - 1865年)は、太平天国の指導者の一人。もとの名は管勝

広東省嘉応州出身。もとはの兵であったが、太平天国軍に捕えられ投降した。1858年に詳天燕に封ぜられ、1860年に詳天福に昇進した。さらに同年12月29日に詳天安に昇格した。1861年5月に詳天義に昇り、12月には忠誠二百十三天将に封ぜられた。その後も功績を立てて「森王」に至った[1]

天京が陥落すると、上海を経由して香港に逃れた。何雨田の変名で表面上は商売に従事していたが、実は再起をうかがって武器を密輸していた。清政府は侯裕田の動きを察知したが、香港政庁に侯裕田の身分を隠して、何雨田は海賊であるとして身柄の引き渡しを要求した。総督代理のウィリアム・トーマス・マーサーは要求に応じ、侯裕田は広州に送られた。1865年4月25日、広州で処刑された。のちに侯裕田の経歴が明らかになると、香港政庁は政治犯の引き渡しに関する国際法に違反したとして批判された[2]

侯裕田公館

侯裕田の執務所が常熟市山塘涇岸80—90号にあり、1982年11月に県文物保護単位に指定された[3]

脚注

  1. ^ 太平天國史,第四冊,卷六十九 傳第二十八 侯裕田,頁2215-2220
  2. ^ 太平天國與香港,香港史地,第一巻,頁5
  3. ^ 蘇州地方志[リンク切れ]



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「侯裕田」の関連用語

侯裕田のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



侯裕田のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの侯裕田 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS