伊徳妃とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 伊徳妃の意味・解説 

伊徳妃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/02 10:15 UTC 版)

徳妃伊氏(とくひ いし、882年 - 942年)は、五代十国時代後唐の荘宗李存勗の妃嬪。

生涯

太原府晋陽県の人。本貫兗州金郷県。曾祖父はの検校尚書左僕射の伊慎。祖父は瀘州刺史の伊宗。父は忻州刺史の伊広。兄弟に伊承俊がいる。

唐末に李存勗に嫁ぎ、側室となった。李存勗が晋王となると、伊氏は燕国夫人に封ぜられた。李存勗が後唐の皇帝として即位すると、皇后をすぐには立てず、妻妾らは寵愛を争った。結局、側室の一人だった劉氏が皇后に立てられた。同光2年12月(925年)、伊氏は徳妃(高位の妃嬪)に封ぜられた。

明宗李嗣源が即位すると、劉皇后は賜死となり、妃嬪らは実家に帰された。徳妃伊氏は晋陽に居を遷した。後晋天福元年(936年)、淑妃韓氏と共に契丹に捕らえられ連れ去られた。会同5年(942年)、伊氏は契丹から人を遣わし、後晋の出帝石重貴に馬を献じた。同年11月20日、契丹の懐州で死去した。享年61。

伝記資料




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「伊徳妃」の関連用語

伊徳妃のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



伊徳妃のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの伊徳妃 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS