今出川定子とは? わかりやすく解説

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今出川定子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/06 08:00 UTC 版)

今出川 定子(いまでがわ さだこ、1738年元文3年6月) - 1773年6月15日安永2年4月26日[1])は、江戸時代中期の女性。紀州藩第8代藩主・徳川治貞正室。父は今出川誠季。兄は今出川公言。別名は千穂君定子。院号は寛耀院

生涯

今出川誠季の娘として生まれる。母は今出川公詮の娘・節君[1]1755年宝暦5年)に紀州藩第8代藩主・徳川治貞の正室となるが、治貞との間に子供は出来なかった[2]。兄の公言の娘に、紀州藩御連枝の伊予国西条藩主松平頼謙の正室がいる。

1773年安永2年)、死去。戒名は寛耀院殿妙到日理大姉[1]

脚注

  1. ^ a b c 堀内信 編『南紀徳川史 第2冊』名著出版、1970年、p.248。
  2. ^ 9代 治貞”. 長保寺. 2023年3月13日閲覧。



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