仁位村とは? わかりやすく解説

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仁位村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/07 21:05 UTC 版)

仁位村(にいむら)は、長崎県下県郡にあった村。1955年(昭和30年)に西隣[1]奴加岳村と合併し、豊玉村となった。


  1. ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1955年3月1日
  2. ^ 長崎県下県郡仁位村(42B0030005)|歴史的行政区域データセットβ版 Geoshapeリポジトリ
    ※上記リンク先地図の着色箇所に加え、佐保浦と貝口浦の間の陸地部分(県道232号線の東側)も仁位村域となる。
  3. ^ この飛地状態は1955年に奴加岳村と合併した事により解消された。但し大字佐志賀・嵯峨・貝鮒が湾や他の大字を挟み分断された「飛び字(あざ)」の状態である事は、合併後も変わらない。
  4. ^ 対馬6町合併のあゆみ 対馬6町合併協議会(総務省 合併デジタルアーカイブ)
  5. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「仁位郡」
  6. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「与良郡」
  7. ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「仁位郷」
  8. ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「与良郷」
  9. ^ 仁位・田(た)・銘(めい )・小綱・大綱・志多浦・卯麦(うむぎ)・佐保・貝口・唐洲・廻・佐志賀・嵯峨・貝鮒・糸瀬・曽(そ)・鎗川(やりかわ)・大千尋藻(おおちろも)・小千尋藻(こちろも)・和板・荷船の各村からなる。上記のうち大千尋藻村と小千尋藻村は江戸時代後期までに千尋藻村と総称されるようになり、荷船村は明治初期までに大綱村の一部に含まれたものとみられる。
  10. ^ 府中である厳原城下のほか、横浦・雞知(けち)・洲藻・箕形・吹崎・賀志・尾崎・昼浦・島山・大山・犬吠・小船越・鴨居瀬・芦浦・賀谷・濃部・大船越・久須保・緒方・竹敷・黒瀬・根緒・小浦・南室・久田・尾浦・安神・久和・内院・内山の各村からなる。上記のうち内院村は江戸時代初期に与良郷と豆酘郷の境界として分割され、与良郷側の内院村は「与良内院村」とも称する。
  11. ^ 長崎縣令第二十號『対馬の各町村合併及びその名称に関する件[1][2]』長崎県公報 明治41年3月25日付号外


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