人間列島
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人間列島 | |
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ジャンル | ドキュメンタリー |
製作 | |
制作 | NHK総合テレビ |
放送 | |
映像形式 | カラー放送[1] |
音声形式 | モノラル放送 |
放送国・地域 | ![]() |
放送期間 | 1971年4月8日 - 1972年3月30日[1] |
放送時間 | 木曜 22:10 - 22:40[1] |
放送分 | 30[1]分 |
回数 | 25 |
『人間列島』(にんげんれっとう)は、1971年4月8日から1972年3月30日まで、NHK総合テレビで放送されたドキュメンタリー番組である。カラー放送。放送時間は毎週木曜 22:10 - 22:40、再放送は翌日(毎週金曜) 14:20 - 14:50(共に日本標準時)。[1]
概要
『ある人生』を発展させた、社会性の強いヒューマンドキュメンタリー番組で、テーマに今日性を色濃く盛り込んで、様々な人間と状況との関わり合いをカラーフィルムを通して描く[1]。NHK教育局教養部制作で、報道局のメンバーが手掛ける『ドキュメンタリー』と並行放送されたが、1972年春の改編で同番組に統合される形で終了した。
放送リスト
放送日 | サブタイトル |
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1971年4月8日 | みちのくの椰子の葉陰で[2] |
1971年4月15日 | 二つの挑戦 |
1971年4月22日 | 祖国 |
1971年5月6日 | さくらえびの春 |
1971年5月13日 | 最後のミサ |
1971年6月3日 | 晴昂丸の六人 |
1971年6月10日 | 18歳男子 |
1971年7月1日 | 埋もれた受難者たち 水俣病未認定患者 |
1971年7月15日 | 銀行が去ったあと 小樽市 |
1971年8月5日 | 求む医師 |
1971年8月12日 | 求人行 |
1971年8月19日 | ポイント51号の夏 |
1971年9月9日 | 再会 地蔵祭りと世相 |
1971年9月23日 | ミー子とキャラおじさん |
1971年10月7日 | ダムとはこめがね |
1971年10月21日 | 私都(きさいち) ある若者たちの50日間 |
1971年11月4日 | 公看さんと呼ばれて |
1971年11月18日 | 砂上花園 |
1971年12月2日 | やませと浪曲 |
1972年1月6日 | 陶工父子 |
1972年1月20日 | 海峡 |
1972年2月3日 | 命のセロファン |
1972年3月2日 | 我が御主(ウシュ) |
1972年3月23日 | 海鳴り 千葉県銚子市外川犬若 |
1972年3月30日 | ある結婚 |
参考文献
![]() |
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。
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- アカイさん資料室(1971年)[どれ?]
脚注
外部リンク
NHK総合テレビ 木曜22:10枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
新経済読本
(1969年4月10日 - 1971年3月18日) |
人間列島
(1971年4月8日 - 1972年3月30日) |
銀河テレビ小説 楡家の人びと
(1972年4月6日 - 1972年6月29日) ※22:00 - 22:15、帯番組 NHKコンサートホール (1972年4月6日 - 1976年3月18日) ※22:15 - 23:00、日曜22:10枠から移動 |
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