人生劇場 (1936年の映画)
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人生劇場 | |
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監督 | 内田吐夢 |
脚本 | 亀屋原徳 |
原作 | 尾崎士郎 |
出演者 |
小杉勇 飛田喜美雄 吉田一子 山本礼三郎 |
撮影 | 横田達之 |
製作会社 | 日活 |
公開 | 1936年2月13日 |
上映時間 | 117分 |
製作国 |
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言語 | 日本語 |
『人生劇場』の題名で、1936年(昭和11年)2月13日に公開。日活多摩川撮影所製作、日活配給[1]。 モノクロ、スタンダード、117分(現存49分[2])。 第13回キネマ旬報ベスト・テン第2位。 内田吐夢の第一回トーキー映画とされているが、現存しているのは、サイレント版のみである。
スタッフ
キャスト
- 青成瓢太郎、瓢吉:小杉勇
- 母おみね:吉田一子
- 吉良常:山本礼三郎
- 半助:吉谷久雄
- 三平:村田宏寿
- 甚:横山運平
- おりん:黒田記代
- おりんの母:紅沢葉子
- 瓢吉の少年時代:飛田喜美雄
- 戸田先生:小杉凡作
- 夏村:菊地良一
- 夏村の父:佐藤円治
- お袖:村田知栄子
- 吹岡:見明凡太朗
- 横井:潮万太郎
- 岡部代議士:高木永二
- 和尚:中村吉次
- 杉原:上代勇吉
- 教授:長尾敏之助
- とん蝶:星ひかる
製作
新興キネマを退いた内田吐夢の日活復帰第1回作品である。 原作が「都新聞」に連載していた時から内田吐夢は愛読し、映画化を熱望。 当時としては冒険だった本作の製作を日活多摩川撮影所・所長だった根岸寛一が許可する。 小説はまず築地小劇場で新協劇団によって上演され、その脚色者が亀屋原徳であり、八木保太郎は舞台の戯曲から映画のシナリオを書いた[3]。
トリビア
撮影開始前にスタッフは銀杏の大木を求めて、東京、神奈川、千葉、埼玉と車を飛ばしたが見つからず、撮影を後回しにしようかと言っている時に、助監督が「ありました」と駆け込んできた。 なんと撮影所の門を出て駅へ行く途中、50メートルぐらいの畑の中の一軒家に立っていたという。 [3]
公開
公開当時には批評家からも絶賛され、北川冬彦は「発展途上にある日本トーキーの歴史上においても、重要な基礎の一つをなすものに違いない」と「キネマ旬報」誌上にて言わせている[3]。
当初は「人生劇場」という題名で公開されたが、その後の再公開の際に「人生劇場 青春篇」と副題が付けられた。
脚注
関連項目
外部リンク
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