人生劇場 (1936年の映画)とは? わかりやすく解説

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人生劇場 (1936年の映画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/13 02:59 UTC 版)

人生劇場
監督 内田吐夢
脚本 亀屋原徳
原作 尾崎士郎
出演者 小杉勇
飛田喜美雄
吉田一子
山本礼三郎
撮影 横田達之
製作会社 日活
公開 1936年2月13日
上映時間 117分
製作国 日本
言語 日本語
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人生劇場』の題名で、1936年(昭和11年)2月13日に公開。日活多摩川撮影所製作、日活配給[1]モノクロスタンダード、117分(現存49分[2])。 第13回キネマ旬報ベスト・テン第2位。 内田吐夢の第一回トーキー映画とされているが、現存しているのは、サイレント版のみである。

スタッフ

キャスト

製作

新興キネマを退いた内田吐夢の日活復帰第1回作品である。 原作が「都新聞」に連載していた時から内田吐夢は愛読し、映画化を熱望。 当時としては冒険だった本作の製作を日活多摩川撮影所・所長だった根岸寛一が許可する。 小説はまず築地小劇場で新協劇団によって上演され、その脚色者が亀屋原徳であり、八木保太郎は舞台の戯曲から映画のシナリオを書いた[3]

トリビア

撮影開始前にスタッフは銀杏の大木を求めて、東京、神奈川、千葉、埼玉と車を飛ばしたが見つからず、撮影を後回しにしようかと言っている時に、助監督が「ありました」と駆け込んできた。 なんと撮影所の門を出て駅へ行く途中、50メートルぐらいの畑の中の一軒家に立っていたという。 [3]

公開

公開当時には批評家からも絶賛され、北川冬彦は「発展途上にある日本トーキーの歴史上においても、重要な基礎の一つをなすものに違いない」と「キネマ旬報」誌上にて言わせている[3]

当初は「人生劇場」という題名で公開されたが、その後の再公開の際に「人生劇場 青春篇」と副題が付けられた。


脚注

  1. ^ kinenote.
  2. ^ 人生劇場東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵映画フィルム検索システム、2015年10月24日
  3. ^ a b c 滋野辰彦『映画史上ベスト200シリーズ・日本映画200』、キネマ旬報社刊、1989年5月15日発行(80-81ページ)

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