京極高迢
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時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 寛保元年(1741年) |
死没 | 宝暦12年閏4月24日(1762年6月16日) |
官位 | 従五位下中務少輔 |
藩 | 讃岐丸亀藩世嗣 |
氏族 | 京極氏 |
父母 | 京極高綏 京極高矩 |
京極 高迢(きょうごく たかとお)は、江戸時代中期の讃岐国丸亀藩の世嗣。官位は従五位下・中務少輔。
略歴
京極高綏(3代藩主・京極高或の三男)の長男として誕生。
伯父で4代藩主・京極高矩の養子となり、宝暦8年(1758年)に9代将軍・徳川家重に御目見する。翌年叙任するが、宝暦12年(1762年)に22歳で早世した。
代わって、高矩の長男・高中が嫡子となった。
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