亀井俊郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/01 22:48 UTC 版)
Jump to navigation Jump to search亀井 俊郎(かめい としお、1933年1月6日 - 2004年5月20日)は、日本の技術者、実業家。川崎重工業代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本造船工業会会長等を歴任した。
人物・経歴
茨城県水戸市出身[1]。1955年横浜国立大学工学部卒業[2]。1997年川崎重工業代表取締役社長。1999年から日本造船工業会会長を務め、韓国企業に対する批判などを展開した。2000年川崎重工業代表取締役会長[1][3][4]。2004年ミラノ出張中に急性心不全のため死去。享年71。ホテルオークラでお別れの会が開催された[1]。
脚注
- ^ a b c 亀井俊郎氏死去/前川崎重工業社長四国新聞社2004/05/31 21:09
- ^ 組織・役員・スタッフ弘陵造船航空会
- ^ 「新社長登場 人物亀井 俊郎氏[川崎重工業]逆境楽しむ指揮官、コスト競争へ舵取り」日経ビジネス 1997/12/01号
- ^ 「故 亀井 俊郎「お別れの会」のお知らせ」川崎重工業
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