上野家_(伯爵家)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 上野家_(伯爵家)の意味・解説 

上野家 (伯爵家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/28 18:30 UTC 版)

上野家
家祖 上野正雄
北白川宮能久親王第6王子)
種別 華族伯爵
主な根拠地 東京市渋谷区常磐松町
著名な人物 上野秀治
凡例 / Category:日本の氏族

上野家(うえのけ[1])は、北白川宮能久親王の第6王子正雄が臣籍降下して興した華族伯爵[2][1]

歴史

明治30年(1897年)7月1日、北白川宮能久親王の第6王子正雄は、臣籍降下して華族伯爵に列せられた[2]。なお正雄の兄である芳之(第5王子)も同日に臣籍降下して二荒家を興して伯爵に叙されている[2]

上野正雄は海軍少将まで昇進した海軍将校となった[1][3]。昭和前期に上野伯爵家の住居は東京市渋谷区常磐松町にあった[3]

正雄の跡はその息子の上野正泰が相続し、その後は松平圀秀子爵の次男上野秀治が正泰の養子に入り相続[4]。秀治は大名生活史や華族制度史を専門とする皇學館大学文学部国史学科の教授である[5]。夫人は桃山虔一(旧公族の李鍵公)の娘久美[4]

系図

実線は実子、点線(縦)は養子。系図は『平成新修旧華族家系大成 上巻』に準拠[6]
上野正雄[† 1]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
正泰
 
順子
 
龍雄
 
忠雄
 
悦子
 
久雄
 
 
 
秀治[† 2]
 
 
 
彩子

系譜注

  1. ^ 北白川宮能久親王の第6王子。
  2. ^ 松平圀秀子爵の次男。夫人は桃山虔一(旧公族の李鍵公)の娘久美

脚注

出典

  1. ^ a b c 森岡浩 2012, p. 91.
  2. ^ a b c 小田部雄次 2006, p. 350.
  3. ^ a b 華族大鑑刊行会 1990, p. 99.
  4. ^ a b 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 234.
  5. ^ 上野 秀治”. researchmap (2022年8月31日). 2023年8月25日閲覧。
  6. ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 703.

参考文献

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  上野家_(伯爵家)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「上野家_(伯爵家)」の関連用語

上野家_(伯爵家)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



上野家_(伯爵家)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの上野家 (伯爵家) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS