三木松平家とは? わかりやすく解説

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三木松平家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/25 02:50 UTC 版)

三木松平家(みつぎまつだいらけ)は、三河国碧海郡三木郷(現在の愛知県岡崎市上三ツ木町)発祥の松平氏の庶流。徳川家康の大叔父にあたる松平信孝が始祖とされ[1]十八松平の一つとされる。嫡流は江戸幕府の開府以前に断絶し、『寛政重修諸家譜』(以下『寛政譜』)編纂時点では庶家2家が旗本として存続している。


注釈

  1. ^ 『寛政譜』編纂時の松平安房守忠敷家の家紋の一つ。#家紋節参照。
  2. ^ 巻第三に収録。巻第一は「清和源氏総括」、巻第二は「松平庶流略図」である。
  3. ^ 慶長2年(1597年)に16歳で家康に拝謁[7]
  4. ^ 従五位下(武家官位)に叙せられたのはこの家で初。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『寛政重修諸家譜』巻第三「松平 三木」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.16
  2. ^ 松平康孝”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2021年1月18日閲覧。
  3. ^ 奥田敏春. “人物探訪 山城と武将たち③ 松平信孝”. みかわこまち. エムアイシーグループ. 2023年5月25日閲覧。
  4. ^ a b c 松平信孝”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2021年1月18日閲覧。
  5. ^ 茶園紘己「安城松平家における阿部大蔵の位置と役割」戦国史研究会 編『論集 戦国大名今川氏』(岩田書院、2020年)の説
  6. ^ 小川雄「今川氏の三河・尾張経略と水野一族」戦国史研究会 編『論集 戦国大名今川氏』(岩田書院、2020年)や小林輝久彦「三河松平氏と駿河今川氏」大石泰史 編『今川氏年表』(高志書院、2017年)の説
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『寛政重修諸家譜』巻第三「松平 三木」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.17
  8. ^ 『台徳院殿御実紀』巻十一・慶長十四年十月十六日条、経済雑誌社版『徳川実紀 第一編』pp.481-482
  9. ^ 『大猷院殿御実紀』巻廿・寛永九年七月十七日条、経済雑誌社版『徳川実紀 第二編』pp.250-251
  10. ^ a b c 『寛政重修諸家譜』巻第三「松平 三木」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.18
  11. ^ a b c 『寛政重修諸家譜』巻第三「松平 三木」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.19
  12. ^ 法樹山養国寺”. 猫の足あと. 2023年5月24日閲覧。


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