一之臺 (種子島氏)とは? わかりやすく解説

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一之臺 (種子島氏)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 06:39 UTC 版)

一之臺(いちのだい、天文6年(1537年) - 元和5年(1619年))は、安土桃山時代から江戸時代武家女性島津氏当主島津義久の継室妙連夫人(種子島時尭の娘)の女房種子島氏庶流国上能登守時通の娘。本名不詳。義久継室亡き後に義久より、その大奥の治令を掌握するように命じられる。その後、多年の功労を賞して、小濱村に1千石の采地を与えられる。一之臺が死去すると所領の小濱村に見隆寺が建立される。

義久より伊勢長門守貞清の次男(つまり伊勢貞昌東郷重尚の従兄弟)を養育することを許可され、一之臺の養弟となり、北条主水佐時盛と称して、一之臺の名跡を相続する。その養孫の十郎(和田讃岐正貞と東郷肥前重信の娘との子)の代の寛文6年(1666年)に家嫡の種子島久時の命で種子島氏に復し、種子島次郎右衛門時貞と称すという。時貞は稲富流砲術や弓馬術(馬術とも)で有名だが、古示現流の祖であるともいう。

参考文献

  • 『種子島氏支族美座対馬守時里二男国上氏系図』(「伊地知季安著作集三」の『諸家系図文書四』の史料)



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