ローラ・ボベスコとは? わかりやすく解説

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ローラ・ボベスコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/04 14:51 UTC 版)

ローラ・ボベスコ
生誕 (1921-08-09) 1921年8月9日
 ルーマニア クラヨーヴァ
死没 (2003-09-04) 2003年9月4日(82歳没)
ベルギー サルト=レ=スパ
学歴 パリ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト
担当楽器 ヴァイオリン

ローラ・ボベスコ (Lola Bobesco, 1921年8月9日 - 2003年9月4日[1][2])は、ルーマニア出身のヴァイオリニスト。本名はローラ・ヴィオレタ・アナ=マリア・ボベスク(Lola Violeta Ana-Maria Bobescu)。

経歴

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1921年、クラヨーヴァで生まれた。作曲家指揮者でもあった父オーレルに幼少時より薫陶を受け、1928年にパリに留学し、エコールノルマル音楽院でマルセル・シャイエのクラスに入った。1931年からはパリ音楽院でジュール・ブシューリに師事し、1935年にプルミエ・プリを取得して卒業した。その後もジョルジェ・エネスクジャック・ティボーの薫陶を受け、1937年にウジェーヌ・イザイ・コンクールで7位入賞を果たした。

第二次世界大戦中はルーマニアに帰国して演奏活動を継続した。戦後はフランスのピアニスト、ジャック・ジャンティと結婚して夫婦でデュオを組んだ。またベルギーに活動の本拠を移し、1958年にワロニー王立室内管弦楽団を設立。1962年から1972年までブリュッセル王立音楽院リエージュ音楽院の教授職を兼務して後進の指導に当たった。1990年には弦楽四重奏団のアルテ・デル・スオノを結成。

2003年、ベルギーワロン地域のサルト=レ=スパにて死去[3]

脚注




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