ロデーズ伯領の継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/16 14:29 UTC 版)
「アルマニャック家」の記事における「ロデーズ伯領の継承」の解説
13世紀末から14世紀初頭にかけて、アルマニャック伯家はロデーズ伯領を婚姻を通して継承し、ジャン1世およびジャン2世父子はフランス王家にさらに近づくこととなった。 ジャン1世は娘ジャンヌをベリー公ジャン1世と結婚させ、その間の娘ボンヌは従兄アルマニャック伯ベルナール7世(互いにジャン1世の孫)と結婚した。さらにベルナール7世とボンヌとの間の娘ボンヌはオルレアン公シャルルと結婚した。1407年にオルレアン公ルイ(シャルルの父)がブルゴーニュ派に暗殺された後、ベルナール7世は反ブルゴーニュ派の首領となり、それがやがてアルマニャック派となった。権力を拡大させるため、ベルナール7世はアルマニャック家の分家からフェザンサゲおよびパルディアックを取り上げたが、コマンジュに関しては失敗した。ベルナール7世は1418年にブルゴーニュ派に殺され、2人の息子が残された。 ジャン4世 - アルマニャック伯およびロデーズ伯 ベルナール - パルディアック伯、子孫は後に婚姻を通してヌムールおよびラ=マルシュを継承した。
※この「ロデーズ伯領の継承」の解説は、「アルマニャック家」の解説の一部です。
「ロデーズ伯領の継承」を含む「アルマニャック家」の記事については、「アルマニャック家」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からロデーズ伯領の継承を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書からロデーズ伯領の継承 を検索
- ロデーズ伯領の継承のページへのリンク