ロザーリエ・ユーリエ・フォン・ボナーとは? わかりやすく解説

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ロザーリエ・ユーリエ・フォン・ボナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/06 17:20 UTC 版)

シュティーラーの描いたボナー男爵夫人、1840年

ロザーリエ・ユーリエ・フォン・ボナーRosalie Julie Freiin von Bonar, 1814年 - ?)は、オーストリア=ハンガリー(二重帝国)の貴族女性。バイエルン王ルートヴィヒ1世が宮廷画家ヨーゼフ・カール・シュティーラーに命じて美人画ギャラリー英語版に彼女の肖像を加えた[1]

郡庁書記官であったモラヴィア系のカール・レオポルト・リッター・フォン・ヴュラーシュトルフ=ウルバイアと、ポーランド系の伯爵令嬢ユリア・グロホフスカの間の娘としてウィーンで生まれた。1817年父が落馬事故で死に、1820年に母がヴェネツィア総督府の高官ヨハン・バプティスト・マルツァーニと再婚したため、継父の手許で育てられた。2歳年下の弟ベルンハルト・フォン・ヴュラーシュトルフ=ウルバイアドイツ語版は後に海軍副提督・通商大臣などを歴任した。1834年、在ウィーン英国公使で、フィングレート(Fingreth)及びリナーディントン(Rinneardington)の荘園領主だったエルンスト・フォン・ボナー男爵と結婚。晩年はシュタイアーマルク州グヤイトホーフ城ドイツ語版に住み、1878年からは同城をネオゴシック様式に大幅改築した。それ以外のことは知られていない[2][3]

1840年に制作されたシュティーラーによる肖像画において、白色の花冠を戴いたボナー男爵夫人は当時としては古風な白いドレスを身に付け、それをベルトで絞めて自然なウエストラインを見せている[4]

引用・脚注




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