レサエナの戦いとは? わかりやすく解説

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レサエナの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 16:45 UTC 版)

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レサエナの戦い
ローマ・ペルシア戦争中
243年
場所レサエナ, メソポタミア (現ラース・アル=アイン, シリア)
結果 ローマ帝国の勝利[1]
衝突した勢力
ローマ帝国 サーサーン朝
指揮官
ゴルディアヌス3世
ティメシテウス
不明

レサエナの戦いまたはレサイナの戦いは、243年、現在のトルコのジェイランプナル付近で、皇帝ゴルディアヌス3世近衛隊長官ティメシテウス率いるローマ帝国軍が、シャープール1世時代のサーサーン朝の軍を破った戦い[1]

背景

ゴルディアヌス3世は、ハトラ、ニシビス[1]カッラエの再征服を目指し東方遠征をおこなった。これらの地域はシャープール1世の父アルダシール1世が、ローマ帝国の3世紀の危機の内乱に乗じて奪ったものだった[1]

その後

サーサーン朝軍を破ったローマ軍はニシビスとシンガラを回復し、ハブール川からユーフラテス川へ向かい、クテシフォン征服を狙った。しかし244年、ローマ軍はミシケの戦いで敗北し[2]、ゴルディアヌス3世は戦死[3]あるいは戦後に暗殺された[4]

脚注

  1. ^ a b c d A Global Chronology of Conflict: From the Ancient World to the Modern Middle East, ed. Spencer C. Tucker, (ABC-CLIO, 2010), 147.
  2. ^ Maria Brosius, The Persians, (Routledge, 2006), 144.
  3. ^ The Sasanians, Richard N. Frye, The Cambridge Ancient History: Volume 12, The Crisis of Empire, AD 193-337, ed. Alan Bowman, Peter Garnsey, Averil Cameron, (Cambridge University Press, 2005), 468.
  4. ^ Trevor Bryce, Ancient Syria: A Three Thousand Year History, (Oxford University Press, 2014), 265.



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