ルイ1世_(モンパンシエ伯)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ルイ1世_(モンパンシエ伯)の意味・解説 

ルイ1世 (モンパンシエ伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/12 01:04 UTC 版)

ルイ1世・ド・ブルボン
Louis Ier de Bourbon
モンパンシエ伯
ブルボン=モンパンシエ家の紋章
在位 1434年 - 1486年

出生 1405年
死去 1486年
教皇領ローマ
埋葬 フランス王国エグペルス
配偶者 ジャンヌ1世・ドーヴェルニュ
  ガブリエル・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ
子女 ジルベール
ジャン
ガブリエル
シャルロット
家名 ブルボン=モンパンシエ家
父親 ブルボン公ジャン1世
母親 マリー・ド・ベリー
テンプレートを表示
1428年以前の紋章

ルイ1世・ド・ブルボンLouis Ier de Bourbon, comte de Montpensier, 1405年 - 1486年)は、フランス王家傍系ブルボン家の公子。モンパンシエ伯。最初の結婚によりオーヴェルニュのドーファンならびにクレルモン=アン=オーヴェルニュ伯、サンセール伯となった。第1ブルボン=モンパンシエ家の始祖にあたる。「善良なルイ(Louis le bon)」と呼ばれた。

生涯

ブルボン公ジャン1世とその妻のオーヴェルニュ女公マリー・ド・ベリーの間の三男として生まれた[1]。1428年、オーヴェルニュのドーフィヌ・ジャンヌ1世フランス語版と最初の結婚をした。1436年にジャンヌが死んだ後も、ルイは結婚によって帯びた称号を保持した[2]。ルイの父方の祖母アンヌがジャンヌの同族の伯母であり、このためルイはオーヴェルニュ・ドーファン家の血を引いてもいた。

1442年、オーヴェルニュ伯ベルトラン5世フランス語版の娘ガブリエルと再婚し、間に4人の子女をもうけた。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b Ward, Prothero & Leathes 1911, table 25.
  2. ^ The Biographical Dictionary, Vol 4, p. 234.

参考文献

  • The Biographical Dictionary. Vol 4,. London: Longman, Brown and Green. (1844) 
  • Ward, A.W.; Prothero, G.W.; Leathes, Stanley (1911). The Cambridge Modern History. XIII. Cambridge at the University Press 

関連項目

  • モンパンシエ伯
先代
ジャンヌ1世
オーヴェルニュのドーファン
1428年 - 1486年
1436年までジャンヌ1世と共治
次代
ジルベール
先代
マリー・ド・ベリー
モンパンシエ伯
1434年 - 1486年
次代
ジルベール



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ルイ1世_(モンパンシエ伯)」の関連用語

ルイ1世_(モンパンシエ伯)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ルイ1世_(モンパンシエ伯)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのルイ1世 (モンパンシエ伯) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS