リヒャルディス・カタリーナ・フォン・メクレンブルク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/04 05:39 UTC 版)
リヒャルディス・カタリーナ・フォン・メクレンブルク Richardis Katharina von Mecklenburg |
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出生 | 1370/2年![]() |
死去 | 1400年 |
配偶者 | ゲルリッツ公ヨハン |
子女 | エリーザベト |
家名 | メクレンブルク家 |
父親 | メクレンブルク公アルブレヒト3世(スウェーデン王アルブレクト) |
母親 | リヒャルディス・フォン・シュヴェリーン |
リヒャルディス・カタリーナ・フォン・メクレンブルク(ドイツ語:Richardis Katharina von Mecklenburg, 1370/2年 - 1400年)は、スウェーデン王女、メクレンブルク公女。神聖ローマ皇帝カール4世の息子ゲルリッツ公ヨハンと結婚した[1]。
生涯
リヒャルディスはメクレンブルク公アルブレヒト3世(スウェーデン王アルブレクト)とリヒャルディス・フォン・シュヴェリーンの娘である。1388年にプラハにおいて、神聖ローマ皇帝カール4世とエリーザベト・フォン・ポンメルンの息子モラヴィア辺境伯・ゲルリッツ公ヨハン(1370年 - 1396年)と結婚した。翌年、父アルブレヒトはスウェーデン王位を廃位された。
リヒャルディスは一人娘エリーザベトを産んだ。エリーザベトはルクセンブルク女公となったが、嗣子なく死去した。
脚注
- ^ Christer Engstrand: Sverige och dess regenter under 1000 år
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