リキニアエウドクシアとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 政治家 > 后妃 > ローマ皇后 > リキニアエウドクシアの意味・解説 

リキニア・エウドクシア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/02 05:22 UTC 版)

リキニア・エウドクシア
Licinia Eudoxia
西ローマ皇后

出生 422年
死去 462年
配偶者 西ローマ皇帝ウァレンティニアヌス3世
  西ローマ皇帝ペトロニウス・マクシムス
子女 エウドキア
プラキディア
父親 東ローマ皇帝テオドシウス2世
母親 アエリア・エウドキア
テンプレートを表示

リキニア・エウドクシア(Licinia Eudoxia, 422年 - 462年)は、ウァレンティニアヌス3世の皇后。のちペトロニウス・マクシムスの皇后となった。

生涯

東ローマ皇帝テオドシウス2世と皇后アエリア・エウドキアの娘として生まれた。437年にテッサロニキでウァレンティニアヌスと結婚。この結婚には、テオドシウス朝の融合が期待されていた。エウドクシアは439年に長女エウドキアを生み、「アウグスタ」となった。

455年、夫ウァレンティニアヌスがペトロニウス・マクシムスに殺された。その日のうちにペトロニウスは即位し、簒奪者の常として皇位の正当性を揺るぎないものにするために、エウドクシアは彼と結婚させられた。夫の殺害者と結婚したエウドクシアが幸福であるはずがなく、彼女はヴァンダル族の王ガイセリックに助けを求めた。皇女エウドキアをガイセリックの息子の一人と結婚させるという条件をとりつけたのち、ガイセリックは素早くローマを急襲した。ペトロニウスは逃亡を図ったが失敗し、ローマの群衆に殺された。ローマでヴァンダル族は略奪をはたらき、皇后エウドクシアや皇女エウドキアとプラキディアの3人を含む皇族たちを人質として連れ去った。

エウドクシア親子はカルタゴに7年留め置かれ、東ローマ皇帝レオ1世が払った巨額の身代金によりようやく解放された。エウドクシアとプラキディアはコンスタンティノープルへ行き、フネリック(ガイセリックの子)の妻となってヒルデリック英語版を生んでいたエウドキアはアフリカに残った。プラキディアはのちにオリブリオスの妻となった。

脚注

参考文献

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

リキニアエウドクシアのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



リキニアエウドクシアのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのリキニア・エウドクシア (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS