ラルビ・ベンバレクとは? わかりやすく解説

ラルビ・ベンバレク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/10 07:07 UTC 版)

ラルビ・ベンバレク
名前
本名 ハイ・アブデルカデル・ラルビ・ベン・ムバレク
Haj Abdelkader Larbi Ben M'barek
愛称 黒い真珠
ラテン文字 Larbi Benbarek
アラビア語 العربي بن مبارك
基本情報
国籍 フランス
モロッコ
生年月日 (1917-06-16) 1917年6月16日
出身地 カサブランカ
没年月日 (1992-09-16) 1992年9月16日(75歳没)
身長 178cm
体重 73kg
選手情報
ポジション MF (OH)
ユース
1928-1930 FCエル・ウアタン・ドゥ・カサブランカ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1930-1934 ウィダードAC
1934-1938 USマロカワーン
1938-1939 マルセイユ 30 (10)
1939-1945 USマロカワーン
1945-1948 スタッド・フランセ 87 (43)
1948-1953 アトレティコ・マドリード 113 (56)
1953-1955 マルセイユ 32 (13)
代表歴
1936-1937 モロッコ 3
1938-1954 フランス 17 (3)
監督歴
1957 モロッコ
1960 モロッコ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ラルビ・ベンバレク(العربي بن مبارك, Larbi Benbarek、1914年6月16日 - 1992年9月16日)は、モロッコカサブランカ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元フランス代表。1940年代から1950年代にかけて活躍し、ヨーロッパの舞台で活躍した最初のアフリカ出身の選手である。

経歴

ベンバレクは20歳のときにフランスのオリンピック・マルセイユへ移籍すると、優れたボールテクニックで攻撃陣をリードし、サポーターの支持を得た。第二次世界大戦の勃発により1940年にモロッコへ帰国したが、戦後は再びフランスリーグへ活躍の場を求め、スタッド・フランセへ移籍した。

1948年からはスペインのアトレティコ・マドリードへ移籍。同年9月19日のアスレティック・ビルバオ戦でリーグデビューを飾った(試合は4-1でアトレティコの勝利)。アトレティコではリーグ通算113試合に出場し56得点を記録。1950年と1951年のリーグ連覇に貢献した。1954年にフランスのマルセイユに復帰し、翌1955年に40歳で現役を引退した。

1938年にフランス代表に選出され、同年9月4日のイタリア戦で代表デビューを飾った(試合は0-1でイタリアの勝利)。1954年10月16日の西ドイツ戦で代表から退くまで、国際Aマッチ17試合に出場した。

引退後はモロッコへ帰国し、1958年にフランスからの独立後として初のモロッコ代表監督を務めた。

1992年9月16日、故郷のカサブランカで死去。78歳没。彼の死から6年後の1998年に、生前の功績が認められ、国際サッカー連盟からFIFA功労者表彰が贈られた。

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