ラニ・マッキンタイアとは? わかりやすく解説

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ラニ・マッキンタイア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/31 16:59 UTC 版)

ラニ・マッキンタイア(Lani McIntyre、Lani McIntireとも、1904年12月15日 - 1951年6月17日)は、ハワイ[1]のギター、スティール・ギター奏者。マッキンタイアは、スティール・ギター人気の高まりに貢献し、やがてスティール・ギターはアメリカのカントリー・アンド・ウェスタン音楽の主要な楽器のひとつとなった[2]

マッキンタイアは、ソル・ホオピイのグループのヴェルティ・トリオ(Novelty Trio)のメンバーとして有名になり、やがて自身のグループを結成して Lani McIntyre and his Aloha Islanders として活動を始め、後にこのグループをラニ・マッキンタイアのハワイアンズ (Lani McIntyre and his Hawaiians) と改名した。マッキンタイアは、ジミー・ロジャースとの共演によって、ハワイアン音楽のギター・サウンドを確立し、スティール・ギターがカントリー音楽の標準的な楽器となる基礎を築き、ハンク・ウィリアムズエルヴィス・プレスリーなどにも影響を与えた[3]。マッキンタイアのハワイアンズは、1937年の映画『ワイキキの結婚』で広く知られるようになった、ビング・クロスビーの「ブルー・ハワイ」のオリジナル・バージョンや、アカデミー歌曲賞を受賞した「スウィート・レイラニ (Sweet Leilani)」において、クロスビーと共演している[4]。当時、マッキンタイアのバンドは、デッカ・レコードと契約していた[5][6]

マッキンタイアはまた、『You're the One Rose』(1943年)、『Maui Chant』(1943年)、『Paradise Isles』(1943年)、『Dreams of Old Hawaii』(1944年)といった戦時中の短編映画にも出演していた[7]

出典・脚注

  1. ^ マッキンタイアの存命中、ハワイはアメリカ合衆国準州であった。
  2. ^ Loud and clear”. Erie Art Museum. 2012年1月31日閲覧。
  3. ^ Beyond the Reef: The Elvis - Hawaii Connection”. Elvis Australia (2002年4月20日). 2007年4月1日閲覧。
  4. ^ Those were the Days”. 440 International. 2007年4月1日閲覧。
  5. ^ Decca 1000 - 1500 Numerical Listing”. Tyrone Settlemier. 2012年1月12日閲覧。 - 1175番を参照
  6. ^ Decca 25000 series Numerical Listing”. Tyrone Settlemier. 2012年1月13日閲覧。 - 25011番などを参照
  7. ^ Lani McIntyre”. IMDB. 2007年4月1日閲覧。

関連項目




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